吉田東伍と石塚三郎


略歴
石塚三郎
(1876-1958)
1876(明治9)年、北蒲原郡安田村(現阿賀野市保田)で生まれた石塚三郎は、我が国歯科医学界の重鎮の一人であると同時に、世界的細菌学者野口英世の親友で、明治・大正期に活躍したアマチュア写真家の先駆けとして知られている人物です。
少年時代、吉田東伍の実家である旗野家に奉公していたいたことから、東伍、東伍の長兄旗野餘太郎から多大な影響を受けて成長しました。
当博物館開館準備中の1996(平成8)年、石塚氏の親族から、石塚氏旧蔵の写真ガラス乾板約2,500枚と多くの関連資料が寄贈されました。1998年11月から1999年2月には特別展「活写(うつ)された世紀開幕」を開催し、写真ガラス乾板の一部を公開いたしました。
さらに2006(平成18)年には、財団法人野口英世記念会ならびに石塚氏のご遺族のご配意により、野口英世関連の原版写真を含むガラス乾板約500枚が寄贈され、2007年8月から9月に、これらの写真を紹介する企画展「わが友野口英世」を開催し、好評を得ました。

ツベタ牧場 所蔵N014-6

大隈重信 所蔵N068-16
年 |
出来事 |
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1876(明治9)年 |
新潟県北蒲原郡安田村(現阿賀野市保田)に生まれる。 |
1893(明治26)年 |
医師の資格取得を目指して上京する。 |
1896(明治29)年 |
再上京し、医学院主事血脇守之助の元へ足繁く通い入門を懇願する。 |
1897(明治30)年4月 |
同院の「玄関番」として採用される。 |
1898(明治31)年4月 |
歯科医師開業試験に合格、歯科医師の資格を取得。 |
1907(明治40)年 |
新潟県歯科医師会初代会長に選任される。 |
1915(大正4)年 |
福島県猪苗代で野口英世の母シカを撮影し、帰国を促す手紙を添えてアメリカの野口に郵送。 |
1924(大正13)年 |
衆議院議員を2期勤める。 |
1928(昭和3)年 |
野口がアフリカで殉職すると「野口英世記念会」の設立・運営に参画する。 |
1958(昭和33)年 |
東京で死去(享年82歳) |
この記事に関するお問い合わせ先
民生部 生涯学習課 博物館係
〒959-2221
新潟県阿賀野市保田1725番地1(阿賀野市立吉田東伍記念博物館)
電話:0250-68-1200 ファックス:0250-68-5016
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更新日:2025年04月16日