五千円札、津田梅子のコンテ画(複製)が、独立行政法人国立印刷局から阿賀野市に寄贈されました
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令和7年6月23日、阿賀野市役所において贈呈式が行われ、独立行政法人国立印刷局 大津理事長様より加藤市長に、五千円札印刷のために作成した津田梅子のコンテ画(複製)が寄贈されました。
津田梅子は、1900年(明治33年)に津田塾大学の前身である女子英学塾を設立し塾長に就任しました。その後、1923年(大正12年)の関東大震災で、麹町の校舎が全焼しましたが、再建に向けて、サンフランシスコ在住で阿賀野市出身の安孫子久太郎夫妻(妻・安孫子余奈子は津田梅子の実妹)の募金活動による協力がありました。津田梅子は、1929年(昭和4年)8月16日に死去されましたが、次の塾長の星野あいが、募金活動によって集まった資金により、1931年(昭和6年)に小平キャンパスの建設と塾の復興を果たしました。塾は、1933年(昭和8年)に津田梅子を記念して津田英語塾に改名し、以後、太平洋戦争の戦禍を乗り越え、戦後の学生改革を経て津田塾大学となり、津田梅子の女子教育への意思を継承しています。
このような経緯から、安孫子久太郎夫妻の功績が認められ、久太郎の出身地の当市にコンテ画が寄贈されたものです。
なお、コンテ画は、令和7年秋頃に一般公開する予定です。
安孫子久太郎について、詳しくは下記をご覧ください。
広報あがの 令和6年10月1日号(8ページ抜粋) (PDFファイル: 1.1MB)

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更新日:2025年06月25日