吉田東伍が生まれたふるさと

更新日:2020年12月01日

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郷土安田

東伍がうまれたふるさと安田

2階だての生家旗野家の白黒の写真

 東伍のふるさと安田は阿賀野川が福島・新潟の県境の山間をぬけ出て越後平野にさしかかるあたり、越後の霊峰、五頭連峰(ごずれんぽう)南端の宝珠(ほうしゅく)山麓にあります。河川や陸地の要衝であったこの地には古来さまざまな人々が訪れ、各地から多彩な文化や知識がもたらされました。
 東伍の生家旗野家は、宿場町保田の中心部、十字路のかど地にあって、代々「角屋(かどや)」と呼ばれていました。百姓代や村庄屋をつとめた家柄で、東伍が生まれたころには農林業のほかに酒造や雑貨商など手広く商いもしていました。

安田八幡宮を正面から写した白黒写真

 生家の周りには史跡や旧跡、由緒のあるお寺や神社が数多く、家には地元の歴史を記録した古文書や絵図面などが伝わっていました。学問好きな父母や兄、叔父の語る昔話も、少年東伍の郷土の歴史や地理に対する関心をいっそう駆り立てられたのでしょう。

ふるさと安田のあゆみ

明治の頃の町並みの白黒の写真

安田の歴史のあけぼのは今から2万数千年以上も前の旧石器時代にさかのぼります。 五頭山麓の扇状地や丘陵、段丘には旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代、さらに奈良・平安時代にいたる遺跡が数多く分布しており、「安田は遺跡の宝庫だ」とも言われています。
 明治の中頃に報告された遺跡が、ツベタ扇状地にある縄文時代の遺跡「ツベタ遺跡」です。そして、これを報告したのが、その頃まだ小学校教員だった吉田東伍でした。
 律令期の安田は越後国沼垂郡の一部でしたが、どの郷に属していたのかはまだよく分かっていません。東伍は『大日本地名辞書』の中で、足羽郷(あすはごう)かもしれないと推定していますが、異説もあります。

安田城址全体を上空から写した写真

平安時代の末期から戦国期にかけて阿賀野川の北岸、安田を含む現在の北蒲原郡の南半部は「白河庄(しらかわのしょう)」と呼ばれる荘園でした。12世紀の後半には平家の一門、城(じょう)一族の本拠地となりましたが、城氏が衰退した鎌倉初期に関東御家人、伊豆大見郷(いずおおみごう)の大見氏が地頭職として着任します。のちその子孫は文脈し、それぞれの地名を名乗り、土着して武士団を形成しました。安田を支配地とした安田氏が16世紀末に上杉景勝(うえすぎかげかつ)に従って、この地を去ったあと、安田は村上氏、堀氏の領地となり、17世紀の中頃までこれらの領主の一門が在城する城舘下の町として存在しました。

安田の地勢・風土

緑色の山という漢字
宝珠山全体を写したのセピア色の写真

五頭山周辺から見つかる多数の石仏や石塔など花崗岩製の石造物はほとんどが鎌倉時代から室町時代にかけてのものです。これはそのころ五頭山一帯が庶民や地方武士の信仰を集める一大聖地・霊場であったことを示しています。

青色の川の漢字
阿賀野川の全体を写した写真

五頭山地の南端に接して、その源を栃木・福島県境の荒海山に発する阿賀野川(あがのがわ)が越後平野へと流れ下っています。流路延長210・、流路面積7,710・の大河です。鉄道が全通する大正の始めころまでは、新潟湊と会津方面との物流の交通のための川船がさかんに行き交いました。

緑色の風という漢字
久保堤の桜がきれいに咲いている写真

安田名物の一つに数えられる「安田ダシ」は、毎年春から夏にかけて、阿賀野川(あがのがわ)にそって吹き抜ける局地的強風の通称です。太平洋の湿気を含んだ南東の風が関東地方に雨を降らせ、水分のぬけた温かい風となって越後山脈を山越えし、低地の阿賀野川にそって吹いています。

オレンジ色の町という漢字
町並古図写の写真

昔、安田の中心部の町並は、安田ダシの風向とほぼ同じ南東-北西方向にのびていたために、強風による火災が絶えませんでした。17世紀の後半には、それまでの町並を、風の向きと直角になるように作り変え、通りの中央に用水堀を引き、防火用の広小路を設け、延焼防止の土塁を築くという町割り直しがおこなわれました。

黄色の人という漢字
道路に面した火除土手の写真

「火除土手(ひよけどて)」にみられるように、安田には風によってもたらされた特異な史跡も存在しています。

赤色の名という漢字
安田地区の町並みの写真

地名の「安田」を「保田」に改めたのも、町割り直しのころのことで、その理由は「安」の字を草体で書くと「火」に似ていることから、また、中国で用いられていた漢字の音韻表記法では「安田」が「煙」につながり、不吉だからというものでした。

安田の産業

乳牛と「新潟県酪農発祥の地安田町」と書かれた石碑の写真

 安田の農業は、稲作、酪農、花き園芸が中心です。特に酪農は歴史が古く、おいしい牛乳の安定的供給地として広く知られています。近年では、良質な生乳を使ったヨーグルトなどの開発も盛んです。

橋の入り口の鬼の石像の写真

安田はまた、石と土を生かした産業のまちとしても有名で、草水(くそうず)の御影石に代表される良質の花崗岩の産地として、古くから本格的な採石加工が行われてきました。東京の国会議事堂や新潟駅南口公園の噴水などにも安田の御影石が使われています。さらに瓦や焼き物にも県内外から高い評価が寄せられています。

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